2023年11月10日
激動の時代を生き抜くために、今、するべきこと!

非二元論では、自由意志は存在しないとされます。
これを大きな自由意志が存在するとも解釈することができます。
ノンデュアリティはシンプルではありますが、理解するのは容易ではありません。
文字通りに解釈すれば、「何をしても無駄」だと受け取られかねません。
しかし、その真意は、「無」であり、全てが繋がっていることを示しています。
意見を述べる必要もなく、思ったことを言わなくても良い、ということを表現しています。
私がこのブログを書く必要はありません。それは確かです。
しかし、私は自分自身のために書いています。
読んで共感する人もいないかもしれませんし、反論する人もいるかもしれません。
何か悩みを抱えている人には、必ず原因があると書き続けてきました。
しかし、それさえ存在しないかもしれません。
ただ、淡々と日常を送り続けるだけで、問題は解決されることが多いです。
無駄なモチベーションなどは必要ありません。
「朝まで生テレビ」のコメンテーター達が意見を交換しています。
その意見交換によって世の中が良くなったのでしょうか?
いいえ、全く変わりません。
意見を交換することは無駄です。
しかし、私はここで意見を述べます。
それは矛盾しているかもしれません。
それが無駄なのかもしれません。
しかし、私はその無駄を楽しんでいます。
人間がAIに勝つことは難しいでしょう。
なぜなら、人間には感情がありますから。
AIには感情がなく、ただ淡々と作業を行っています。
逆に言えば、感情があるからこそ、我々は人間であると言えます。
自由意志は存在しない。
人生は既に決まっています。
それが真実かもしれませんが、人間は少なくとも人生を彩り豊かにすることを望んでいます。
自分自身のルールを設けてそれを守り続けることで、人生が彩り豊かになると思います。
悟りの世界は、不思議な世界と言えるかもしれません。
悟りを開いた人にとっては、みんなが無駄なことをしていると思うでしょう。
世の中は「無」なのですから。
今、あなたが問題に直面していると想像してください。
仏教では、これを課題と捉え、修行とも言えます。
そして、問題には原因があると仏教は説きます。
これを因果と呼びます。
原因を突き詰めていくと、必ず「我」に辿り着きます。
つまり、「我」なのです。
あなたの周りに起こっている現象は全て、あなたのコントロール下にあるということです。
それを周りの環境が原因だと考えると、環境を整えることが不可能になります。
ノンデュアリティーでは、問題も何も存在しないので、ただ俯瞰して眺めていれば、自然と問題は消える、という表現をするかもしれません。(問題は無いのですから)
問題と認識しているのは、人間の思考パターンだと言うのです。
確かに、そうかもしれません。
何か問題が目の前に起こると、「ああだ、こうだ」と思考し、何とかしようとします。
ノンデュアリティーでは、それは存在しないのだから、放棄します。
放棄するという表現よりも、ストコーマに入れるという方が適切かもしれません。
問題を一切見ない、見えない状態にするのです。
何かを貸して返ってこないのだったら、それは無かったものとする、という意味です。
このようなシンプルなロジックがパワフルであり、真の解決策かもしれませんね。
しかし、人間だから感情が働きますし、それでは気が済まないでしょう。
それが理解できます。
私自身も人間であり、感情が高ぶります。
しかし、このような抽象的な回答をしてくれる人(アドバイザー)が必要かもしれませんね。
悟りを開いた人からアドバイスを受けると、冷たいアドバイスが返ってくるかもしれません。
しかし、それが本質かもしれませんね。
人は同情や共感を求めますから。
私がまだ悟りを開いていないとは言え、私たちはこの地球に無駄を楽しむために来ているのだから、是非とも無駄を楽しむべきだと思います。
たとえ悟りを開きたいと考えていても、死ぬときには自然と悟りが開けます。
そのため、特別に注力する必要はないと思います。
ただ、現在では、「我」に焦点を当て、「我」を変える方法を学び、整えることが、楽で楽しい生活のヒントになるかもしれません。
それを可能にするのが、学びです。
学びは修行と同義です。
以前から同じことを書いていますが、誰も一人では生きていけません。
一人では競技は成立しません。
だからこそ、相手が必要なのです。
目の前にいる相手をコントロールできれば、それは「我」をコントロールできている証なのです。
私自身がこう書いているものの、まだ完全に理解しているわけではない、という感じです。