2024年10月31日
枠を設けて生きる生き方!
私達は、今まで、枠を設けて生かされてきました。
例えば、学校での枠といえば、髪を染めてはいけない、ネイルはダメとかです。
〇〇してはダメとすると反発心が生まれるのです。
あとは、決めつけも同じ。
あの子は、〇〇だからとか、長男だから、女だから、男だから、とか。
人を〇〇で定義してしまう。
見えない枠を設けてしまうのです。
これは、普通といえば普通なのですが、意識進化からみれば、必要ない、むしろ邪魔なのです。
その思考システムから抜けないと進化しないのです。
進化とは、枠からの脱却です。
悟りとは、差取りとも書けます。
その思考を消せないと、広がらないのです。
人に嫌われてはダメ。1+1=2。時間は一定。地球は丸い。
人に嫌われることは、ダメなのでしょうか?
煩わしい人間関係は、この思考から生まれるのではと考えます。
意識が進化すれば、このようなことはどうでも良いというか、薄くなるのです。
とこのように書けば、情が薄いと思われますが、文字を変えると、合理主義です。
なんだか、冷たく感じますよね。
でも、自分と他人の差も薄くなるので、他人を愛おしく思えるのです。
人の外見を見ないで本質を見れるようになるのです。
これを読んでいる人にお伝えしたいのは、あなたの環境は、あなたが創造しています。
その創造は、あなたの思考が創造しているのです。
思考を変えないと、いつまで経っても、同じところを回ります。
思考を変えないとと、書きましたが、あなたの本質を出してください。
それができれば、自然とあなたの環境は変わりますので。
安心してください。
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08:44
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2024年10月30日
全ての根源を無くすには!

昨日は、全ての根源は思考だと書きました。
では、その思考を無くすには、内観する。
間違いました、私を知るです。
瞑想などする人は、内観をすることが多いかも知れませんが、内観では現れにくいです。
何が?ですよね。
それは、私です。
私が現れてくるのです。
そして、それに触れるのです。
それが悟りです。
ただし、悟りは、入口に入っただけなのです。
まだまだ、意識進化が進むのです。
悟ったと満足していると、いつの間にか、思考に操られるのです。
なので、悟ったからと、自慢できるものではありません。
なので、悟った人は、悟ったと言わないのです。
謙虚になるのですね。
謙虚と感謝。
これが現れてきます。
そういう生き方、素晴らしくないでしょうか!
これが、人間の本質だと言うことです。
というように、答えを全て書いておきます。
ただし、知ったからとて、悟りは簡単には手に入りません。
とだけ書いておきます。
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11:59
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2024年10月29日
全ての根源を書いておきます。

昨日は、三蔵法師を覚鑁上人のところに連れて行きました。
これを読むと、???ですよね。
でも、言葉通りのことをしてきました。
内容を書くともっとややこしいのでやめておきます。
それを聞いた私も、半信半疑なのです。
見えない世界のことは、アニメみたいです。
師匠の行動は??です。
お役を終えると、曇っていた空から太陽が照ってきました。
というように、知らないところで、いろんな事が起こっているようです。
以前の私なら、「どういう意味ですか」「どうしてですか」と聞いていました。
でも、そうなんだな、とそのまま流していました。
人は、何でも聞いたことに対して、意味や根拠など定義したがります。
見えないものを、「ない」というのも「ある」というのも可能性を閉じてしまいます。
意味を付けて、枠を設けてしまう思考が無意識に働くのです。
この思考が私達の可能性をなくしている原因です。
この事を、昔から、「考えるな、感じろ」とこのブログでは書いてきました。
これは、ブルース・リーの言葉です。
昔の賢人の言葉にはそれこそ「ヒント」があるのですね。
私が、これを読んでいる人に、お伝えしたいことは、「古きを知り、新しきを得る」です。
思考が全ての根源だということを、ここに書いておきますね。
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08:56
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2024年10月27日
幸せは既にあった!

明日は、上の写真の覚鑁上人に会いに行く予定です。
今も昔も、覚鑁上人のように特定の分野に秀でた人が神輿に担がれます。
しかし、人間の嫉妬などで、覚鑁上人は苦労されました。
それでも、根来を立ち上げました。
私たちも学問ができなくても、ある境地に至ることができます。
その境地に達すると、今までの問題が問題でなくなります。
普通の人は問題を対処法で解決しがちですが、その境地に達すれば、対処する必要がなくなるのです。
ここは文字で書くと難しいのですが、知らない間に問題が問題でなくなっているのです。
例えば、人間関係の争いなどが顕著です。
以前は争っていた人とも、知らない間に争いがなくなります。
こちらが空の状態であると、相手も同調して空になるのです。
私たちがこれまで習ってきた対処法には限界があります。
その境地に至っていなければ、何かを求め続けることになります。
何かを手にしても満足できません。
それは、「真我」に無意識に触れようとしているのかもしれません。
このようなことを今では本などでも書いていますが、それを読むと誤解を招くことがあります。
そのため、なかなかその境地には達しません。
悟りに達していない人が悟りについて書くと「私はいない」と書きます。
それを読んで納得してしまうと、悟りが遠のくのです。
悟りは、悟った人に聞くのが良いでしょう。
その人に話を聞くと、幸せは既にあるとわかるでしょう。
外に幸せを求めても見つかりません。
早く気づいてください。
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07:58
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2024年10月26日
悟りの大衆化時代が到来!

「悟った」と、瞑想中に突然体験する人がたくさんいます。
そのようなパターンの悟りは、突如として訪れるため、意識の進化が急に高まり、感動が生まれるのです。
一方で、少しずつ意識の進化を遂げている場合、悟りに達しても感動はありません。
しかし、悟りに達したとしてもそれが終点ではなく、意識の進化はまだまだ可能で、言わば青天井なのです。
ただし、突然悟った場合、その後にどう意識を進化させればよいのかわからないことがあります。
これからの時代、科学的に悟りを解明し、その方法を伝える場が増えてくると考えています。
したがって、悟りの大衆化が起こるでしょう。
それが良いとか悪いではありません。
多くの悟った人が現れることで、地球は天国のようになるかもしれません。
悟りを必要としない人も当然存在します。
勝敗の世界を楽しんでいる人です。
ただ、それは若い時は良いのですが、高齢になるといつまでも戦っていられません。
逆に若さに負けてしまいます。
すると楽しくなくなり、精神疾患に陥ってしまうことがあります。ボケなどです。
それは、お釈迦様が述べていました。
そのお釈迦様の教えを聞かずに、誰かが作った宗教の偶像を信じてしまい、悟りに至らなくなってしまったのです。
悟りを開いた人の話を聞かず、言葉巧みに話す頭の良い人の話を聞いてしまうのです。
なぜなら、その言葉が華やかだからです。
悟りを開いた人の話は、聞き手にわかりやすい言葉を選ぶため、華やかではないのです。
また、「私、悟ったよ」とは言わないのです。
悟りとは、簡単に書きますと、「真我」にふれることです。
こう書いてしまうと、必ずそれを探そうとするのです。
探せば探すほど、見つからないのです。
私が以前から書いていました、「答えは、全て、自分の中にある」です。
それは、追えば逃げていきます。
まるで、人参をぶら下げられて走る馬のように。
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08:21
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2024年10月25日
変わる

来週は座談会があります。
天気が良ければ、根来寺の奥の院に行きます。
昔から、「自分が変われば、周りも変わる」と言われてきました。
言葉のニュアンスが少し違うかもしれません。
言葉通りに捉えると、違うところを掴みに行ってしまいます。
「私が変われば、周りも変わる」と言ったほうが正確に近いですが、完全に正確ではありません。
「私が」と書くと、また私を探してしまい、違うところに行ってしまいます。
私はこれをしていました。
アドバイスがなければ、ずっとそこに行っていたと思います。
そのため、世の中の悟りを書いている本を読むと、違う方向に行ってしまいます。
故意かどうかは分かりませんが。
皆さんに受け入れやすく書くと、「私が変わると、知らないうちに周りの環境が変わる」ということです。
「知らないうち」というのがポイントです。
なので、自分を変えましょう。
これは少しニュアンスが違います。
文字にするのは難しいです。
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09:49
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2024年10月22日
目覚め
世の中、苦しみばかり。
このように書くと、「そうだよね」と思われませんか?
そう思われた方、危険です。
世の中が苦しみばかりという思考は、世の中が悪いという感じになります。
そして、世の中が苦しみばかりという思い込みがあなたをそう思わせているのかもしれません。
そのシステムを一度、delateして、新しいシステムをインストールしましょう。
ここの感覚が重要。
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14:15
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2024年10月17日
私達はアーチスト
私たちは、それぞれの人生を演じていると言えるかもしれません。
ある人は不幸な物語を演じ、またある人は大金持ちの物語を演じています。
あなたは、どのような人生をリアルに演じてみたいですか?
お金があるから幸せ、〇〇がないから不幸、といった人間の勝手な物差しで生きていると、苦しみから逃れられません。
お金がないより、ある方が生きやすいのは事実ですが、ある程度で十分という見方もあります。
この人生でどのように生きるか、生き様というのでしょうか、それは個性であり、表現の一つであり、その表現はアーティストのようなものです。
美しい曲線を描くのか、美しい色で表現するのか、薔薇のような香りで表現してもいいでしょう。
それぞれの手法や手段、アイテムが変わるかもしれません。
それが個性です。
他人の個性を否定する必要はありません。
薔薇は黒いものもあれば、白いものもあるかもしれません。
それを見た人がどう思うかなんて気にしなくても大丈夫です。
表現者が自由に描くのです。
周りの評価を気にしすぎると、それは個性ではなくなります。
そして、本当の自分が何を表現したいのかを知ること。
これがなければ表現できません。
周りの流行に流され、ありきたりの絵を描いてしまうのです。
そこには面白みもなく、味や個性がありません。
本当の自分を見つければ、その景色は一変し、静けさの中に身を委ね、少しの変化に気づけるようになります。
その景色は、まるで枠のない世界。
この世界は果てしなく広大で、まるで無限です。
その無限の世界から自分を覗くと、まるで点の世界でもがいているようです。
点の世界で満たされたり満たされていない自分は、小さな制限を勝手に設定してしまっていると気づくのです。
この世界で無意識に制限を作っています。
それに気づけるようになるには、本当の自分に気づき、その場に居続けることです。
それができるようになると、今までのことが違和感を覚え、普通だったことが普通でなくなるのです。
これからの時代、これができる人が大量に出てくるでしょう。
これを悟りと言うかもしれませんね。
〇〇に生かされていると言いますが、ではなく、生きているのです。
生かされているという表現は微妙に、他力に感じられるのです。
他力を味方につけると、自力のダムが崩壊し、二項対立の世界に支配されるのです。
そこは、言葉の表現の限界があるので、手放す、執着を失くすに近いかもしれません。
言葉には、読み手のレイヤーによるので、なんとも、難しいですね。
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13:10
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2024年10月13日
多角から見る
先日、自分の店から500m離れた場所で、掃除をしている店主を見かけました。
その時、「素晴らしい」と思う一方で、「なぜ関係のない場所を掃除するのだろう」とも考えました。
聞いてみたくなりました。
これを読んだ人は「変わった人」と思うでしょうが、私はこう思います。
他の人にもゴミを拾うチャンスを与えてほしいと。
ゴミはただのゴミかもしれませんが、されどゴミ。誰かがそれを見て何かに気づくこともあるかもしれません。
だから、一人の人が周りのゴミをすべてきれいにしてしまうと、その人が独り占めすることになり、他人に気づきを与えられないかもしれません。
実は、それはその店主の「●」なのです。
こういう考え方もあるかもしれません。
極端な意見なので、普通の人は理解しにくいかもしれませんね。
もっとわかりやすく言うと、ボランティアというと美しく聞こえますが、実は、それはボランティアではないのです。(一部)
と書くとどう感じますか?
世の中の常識は、必ずしも常識ではありません。
多角的に見る癖をつけると、本質が見えるようになるかもしれません。
奥深くを覗くのです。
こう書いていると、高野山の奥の院を思い出しました。
奥の院を見たければ、奥まで行かないと見られないでしょう。
だから、奥の院なのです。
すべての答えは自分にあります。
これは常に書いていますが、自分の奥を覗くと、知らない自分が見えるようになります。
それが悟りなのかもしれませんね。
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08:30
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2024年10月11日
悟りの門を開く
このブログの最初の目的は、師匠を知ってもらい、会ってほしいというものでした。
今は、どのようにすれば、二項対立の世界で「楽に楽しく生きる」が可能なのかを探っています。
どうもしっくりくる答えが見つかりません。
やはり二項対立の世界では、それは不可能です。
となると、悟りの世界に踏み出すしかありません。
ほとんどの人は、過去に囚われたり、未来を想像すると不安になります。
過去も未来も、すべては今なのです。
今を生きることが悟りなのです。
これがわかりにくいのです。
私もつい最近、やっとわかった気がします。
神道では「中今」と言います。
中今を生きて、考えずに感じることを実践すると、悟りの門が開くのです。
2024年10月から悟りをテーマに書いていきます。
私の中の変化を書いていきます。
お楽しみに!
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13:20
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