2024年10月27日
幸せは既にあった!

明日は、上の写真の覚鑁上人に会いに行く予定です。
今も昔も、覚鑁上人のように特定の分野に秀でた人が神輿に担がれます。
しかし、人間の嫉妬などで、覚鑁上人は苦労されました。
それでも、根来を立ち上げました。
私たちも学問ができなくても、ある境地に至ることができます。
その境地に達すると、今までの問題が問題でなくなります。
普通の人は問題を対処法で解決しがちですが、その境地に達すれば、対処する必要がなくなるのです。
ここは文字で書くと難しいのですが、知らない間に問題が問題でなくなっているのです。
例えば、人間関係の争いなどが顕著です。
以前は争っていた人とも、知らない間に争いがなくなります。
こちらが空の状態であると、相手も同調して空になるのです。
私たちがこれまで習ってきた対処法には限界があります。
その境地に至っていなければ、何かを求め続けることになります。
何かを手にしても満足できません。
それは、「真我」に無意識に触れようとしているのかもしれません。
このようなことを今では本などでも書いていますが、それを読むと誤解を招くことがあります。
そのため、なかなかその境地には達しません。
悟りに達していない人が悟りについて書くと「私はいない」と書きます。
それを読んで納得してしまうと、悟りが遠のくのです。
悟りは、悟った人に聞くのが良いでしょう。
その人に話を聞くと、幸せは既にあるとわかるでしょう。
外に幸せを求めても見つかりません。
早く気づいてください。
Posted by HIROTO at 07:58│Comments(0)